2016年3月24日

ザ ワンダラーズ イン ザ フラッド

翌日、雨はやんでいた。

道で拾った長袖にヨレヨレの草臥れたズボンで外に出ると、空には六ヶ所村から届くモーター音に混ざってジョニー・キャッシュの声が響いていた。いや、それともずっと昔から鳴り続けていたのに気付かなかっただけか。


小さい頃、母方の祖父ちゃん家に連れてかれると、祖父ちゃんは叔父さんに鶏を絞めさせた。
春も盛りの空気の中、ベルリンから届く槌の音に誰も気付かず、庭に吊るされた首なし鶏の血が牛舎から流れてくる家畜の糞尿に滲んでいく。色の剥がれた味噌汁茶碗に鶏肉の入った汁が盛って出されると、僕はいつもそれを畏ろしい思いで眺めていた。

蝿の死骸がポロポロと落ちている古い畳の上で、その家の祖父ちゃんはいつも目を瞑ったまま何事かを唸り続け、頭の中の誰かと語り合っていた。若い頃そうとう祖父ちゃんに殴られた祖母ちゃんは、優しく黙って万年コタツのその縁を見ている事が多かった。

僕は差し出されたそのお椀が何だか穢らわしく気持ち悪く思えて、遠慮気味にひと口すすって、そして残した。祖父ちゃんと祖母ちゃんは寡黙な人達だったけど、そうやってとても深い愛情表現を僕にくれた。

その頃の僕は、一家に焦げついた呪いのような貧しさと無知で瞼を塞がれ、「バブル」というものを世間が謳歌している事も、優生保護法という恐ろしい常識がこの世にある事も知らずに、ただその夏その夏の台風と暴力に怯えていた。母さんは勤めに出ていて、僕は病気の父さんと二人で、風が家を軋ませ雨が薄いトタン壁にぶつかり染み込んでいく音を聞いていた。離れにいた父方の婆ちゃんが“恐ろしい、恐ろしい”と方言で叫びながら家に飛び込んでくる。

薄暗いボロボロの畳の真ん中に電気も付けず3人で黙ってつっ立っていた。
もうとっくにこの一家は濁流のただ中ではないのかと、どうしてこの家にだけいつも台風が来るのかと、とても心もとなかった感情を憶えている。

あの時、皆でジョニー・キャッシュを知っていたらと思う。3人でジョニー・キャッシュのあの声でも真似して笑って歌えたら良かったと思う。それだけでもどんなに心が晴れた事だろう。

そうすれば、僕らの上にいつもやって来て、そして去っていくあの台風と暴力はそれはそれで試練であり、糧なのだったと思えたかも知れない。「慈悲」とはとても残酷で暴力的でそして恵み深い「重力」なのだと信じれたかもしれない。

それは「仕方の無い事」だと思えたかもしれない。

0 件のコメント:

コメントを投稿