2016年8月16日

ジャスト ライク ア 万葉集

台風が来るというので仕事を慌てて切り上げ、準急と各停を上手く乗り継ぎ時間短縮で駅に着いたものの、風雨の気配は全くなくちょっと拍子抜けしてしまった。

今日から二人の幼い娘達は妻の実家にお盆で帰省していて、今ごろ初めての送り火を準備しているだろう。彼女らの目に、ちらちらと燃える炎はどう映るのだろうか。


先月帰った宮崎の実家には、チビ達が遊んだ風船がいまだに畳に転がっているらしく、一人田舎に住む母はそのままお盆の電気提灯と一緒に仏壇の周りに置いて飾っているそうだ。夏の残り香みたいで、弟や父もきっと喜んでいるだろうとその写メには書いてあった。


今日は一日考えつめて朝からロクな物も食べてないから、息抜きがてらに流行りの餃子屋で餃子一枚と瓶ビールを頼んでみる。同時に座った向かいの兄ちゃんは餃子二枚のみをオーダーし、それをひたすらお冷で流し込んで出て行った。今日は70年目の8月16日。あなたの孫は娘二人の親になって人生初の「一人餃ビー」してるよ、爺ちゃん。

それはさておき餃子とビールは言うほどゴールデンコンビじゃないな、なんて思いながら駐輪所へ清算しに行くと駐輪代300円に対し、生憎手持ちは万札のみ。どう崩そうかと見回した先には古びた一軒の定食屋。次はアジフライとのコンビを試そうと入ってみた。

老夫婦が油煙たてながら一所懸命一膳飯をこさえ、もくもくと焚かれる焼魚の煙幕の向こうではつけっぱなしのテレビがピンクとブルーにチカチカ吠えている。ニュースは半分馬鹿にした口調で、受験戦争に向けた小学生達の缶詰合宿を伝えていた。画面のさらに奥では思春期前の多感なガキどもに半狂乱で喚き散らす塾講師が躍動している。なんなんだろうこの、見る側も伝える側も誰も本気にしちゃいない、嘲笑交じりの時間潰しは……とさも言いたげな唐揚げの揚げる音とさんまの白煙が、休みなく客とテレビの間を漂っている。

アジフライがビールを追い越していったせいで、ちょっと無理しつつ瓶の残りを片付けて外へ出ると表は見事に土砂降りの歓待。そのままズブ濡れで300円を支払い、そのままズブ濡れで「雨に唄えば」をハミングしつつ立ち漕ぎで商店街を通り抜ける。通行中のおばちゃんらが変な目で見てるけど、まぁしょうがない、だって俺ほろ酔いだし。ま、どっちかっていうと「雨に」というより「台風に」なんだけどね。

ズブ濡れの服らを剥ぎ取ってシャワーを浴び、髪を拭きながらパンツ一丁でリビングに行くと娘達が残していった風船がぽつんと家のソファーの上でもエアコンに揺れていた。

誰もいない家で何となく手持ち無沙汰に風船を投げたり、つついたり、服も着ないまま一人で遊んでいるうちに、母の気持ちがふと分かった気がした。なぜ母は自分のセルフィーじゃなく、仏壇とその周りに転がっている風船だけの写真を送ってきたのかが。


ああ淋しさって残していった物に強烈に映るんだなぁ、って。ああ夏の残り香って感じだよね、って。まるで万葉集なんだねこれ、って。

2016年3月24日

まぶしい陽の光

ある日俺がカニエ・ウェストのPVをパソコンで見ていると・・・

妻『この人って蟹江敬三さんの息子さんさんらしいよ。 たしか、三男坊が音楽関係の人だって聞いたし。』
俺『凄いね!!!・・・隠し子とかなのかな?』

蟹江敬三と カニエ・ウェスト(Kanye West)は なんと親子!!!・・・なわけないわな。
夫婦で腹を抱えて笑った。家にあったカニエ・ウェストの「Runaway」をかけたら、六ヶ月の娘はキャッキャ揺れていた。

僕達夫婦はいつまでたっても阿呆で間抜けで鈍朴で、金儲けや人を騙す仕組みを覚えられず、不器用さと言う重荷なんかサッサと降ろしゃいいのに、「寒いね。頑張ろうね」なんて一口ずつのスープを分け合いながら、果てない夜のどん底を物も知らずに歩いて行く。

僕らにとっちゃ夜空の静かな満月だけが仏さまのお顔をしておいでで、「同じところをグルグル回って馬鹿な奴らだ」なんて人から笑われながらも、労わり合い、互いの優越を競ったりせず、その日の「終わり」が終わる時間に今日もまた二人、湯船の鼻唄で疲れを落としている。

人には人の幸せがあるように、宗教にハマるやつにはそれなりの理由があって、資本を溜め込む奴にもそれなりの目的があって、どちらも毛穴まで信じてるって点でもはや違いは無いんだから、まあ好きな方を選んで各自で観念往生すればいい。
 
いずれにせよ人間には、この宇宙という暗闇の中で死ぬ事だけが絶対に決まっている。その短い時間の中で良き伴侶という細い一筋の光に照らされただけでも、僕は途方も無く幸運な人生だ。

ザ ワンダラーズ イン ザ フラッド

翌日、雨はやんでいた。

道で拾った長袖にヨレヨレの草臥れたズボンで外に出ると、空には六ヶ所村から届くモーター音に混ざってジョニー・キャッシュの声が響いていた。いや、それともずっと昔から鳴り続けていたのに気付かなかっただけか。


小さい頃、母方の祖父ちゃん家に連れてかれると、祖父ちゃんは叔父さんに鶏を絞めさせた。
春も盛りの空気の中、ベルリンから届く槌の音に誰も気付かず、庭に吊るされた首なし鶏の血が牛舎から流れてくる家畜の糞尿に滲んでいく。色の剥がれた味噌汁茶碗に鶏肉の入った汁が盛って出されると、僕はいつもそれを畏ろしい思いで眺めていた。

蝿の死骸がポロポロと落ちている古い畳の上で、その家の祖父ちゃんはいつも目を瞑ったまま何事かを唸り続け、頭の中の誰かと語り合っていた。若い頃そうとう祖父ちゃんに殴られた祖母ちゃんは、優しく黙って万年コタツのその縁を見ている事が多かった。

僕は差し出されたそのお椀が何だか穢らわしく気持ち悪く思えて、遠慮気味にひと口すすって、そして残した。祖父ちゃんと祖母ちゃんは寡黙な人達だったけど、そうやってとても深い愛情表現を僕にくれた。

その頃の僕は、一家に焦げついた呪いのような貧しさと無知で瞼を塞がれ、「バブル」というものを世間が謳歌している事も、優生保護法という恐ろしい常識がこの世にある事も知らずに、ただその夏その夏の台風と暴力に怯えていた。母さんは勤めに出ていて、僕は病気の父さんと二人で、風が家を軋ませ雨が薄いトタン壁にぶつかり染み込んでいく音を聞いていた。離れにいた父方の婆ちゃんが“恐ろしい、恐ろしい”と方言で叫びながら家に飛び込んでくる。

薄暗いボロボロの畳の真ん中に電気も付けず3人で黙ってつっ立っていた。
もうとっくにこの一家は濁流のただ中ではないのかと、どうしてこの家にだけいつも台風が来るのかと、とても心もとなかった感情を憶えている。

あの時、皆でジョニー・キャッシュを知っていたらと思う。3人でジョニー・キャッシュのあの声でも真似して笑って歌えたら良かったと思う。それだけでもどんなに心が晴れた事だろう。

そうすれば、僕らの上にいつもやって来て、そして去っていくあの台風と暴力はそれはそれで試練であり、糧なのだったと思えたかも知れない。「慈悲」とはとても残酷で暴力的でそして恵み深い「重力」なのだと信じれたかもしれない。

それは「仕方の無い事」だと思えたかもしれない。

毒、ゴールド、ベガ、シリウス

君がシャボン玉をたくさん吹いて、「つかまえてごらん」っていうから、僕は思わず「どれを?」って聞いてしまったんだ。

本当はそんな意味じゃなかったんだよね?

僕達はあの時、別の宇宙を漂う影も重みも持たない存在で、ただ自分達の英雄と正義を崇め、憧れと焦りに体中を突き刺されていた。僕達の言葉はどこにも届かず、そしてあの頃とは違う空間でまだ迷子になっている。こんな表現も、今では年相応の僕とともに時代の後ろへ置いていかれるばかり。 

僕は英雄になりたかった。そしてまだ英雄はいない。

加速するカウントダウン。
とらわれの心。
指先の血、毒、ゴールド、ベガ、シリウス、細胞核。
呼んでいる、死ぬまで続く増殖と分裂。
フラッシュ、ジェット気流、深い雨の臭い。
くそったれ
くたばれ
無数のグラフィティが、固められた壁の向こうから叫ぶ。
やまない頭痛、鳴り止まない通底音。
無感動に囚われ、囚われという感覚に無自覚になる。
地球上に保存され溢れかえった何十億人の記録が、今日も忘れ去られる恐さに震えている。
くそったれ
くたばれ
それでも生きたい
君は毒、ゴールド、ベガ、シリウス、細胞核。
この出会いの意味は僕ら次第。
騒音はもう聞こえない、その手だけを見ている。
指先の血、サビの匂い
海は近い。